イギーの少年時代と音楽への目覚め
イギーは1947年ミシガン州に生まれ。1950年代の豊かなアメリカでは、国民はマイホームとマイカーに象徴されるアメリカンドリームを楽しんでいました。しかし、イギーの家庭はキャンピングカーで生活、イギーはその車の中で音楽を学びます。少年時代に見たテレビ番組の影響で、短い詩を書く、ボブ・デュランのような複雑な詩は書かなくなったと話しています。高校時代からバンドで活躍し、大学は中退したそうです。

『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』 (C)2016 Speedee Distribution,LLC. ALL RIGHTS RESERVED
イギーが生まれたのは、当時の世界自動車産業の中心のミシガン州、デトロイトから車で3時間ほどの町でした。第2次世界大戦に勝利した、アメリカは1950年代、経済的繁栄を享受しました。しかし、イギー一家はキャンピングカーで暮らす、あまり恵まれた家庭ではありませんでした。映画では、イギーの少年時代のエピソードが語られます。
イギー、ストゥージズ結成、ミシガン州で活動開始
『ギミー・デンジャー』(C)Danny-FieldsGillian-McCain
大学を中退したイギーは仲間を集めバンドを結成し、デトロイト、ミシガン州エリアで活動を開始します。バンドの名は、''The Stooges"(ザ・ストゥージズ 愚か者達)当時、アメリカや日本では、"The Three Stooges"(スリー・ストゥージズ、三ばか大将)というコメディアンが有名でした。しかし、内容はお笑い系の歌でなく、若者の怒りを表現した歌でした。そんなある日、レコード会社と契約するチャンスに恵まれます。
『グローリー/明日への行進』 (C)2014 Pathe Productions Limited.All rights reserved
イギーがバンドデビューした1960年代、若者はベトナム反戦運動を行い、国民はソ連と共産主義の脅威を感じていました。国内では黒人が人種差別の撤廃を要求する公民権運動が高まっていました。そんな世相の中、イギーは黒人音楽に興味を持ち、仲間と貧しく食事などを分け合い、自分を共産主義者と呼んでいました。
レコードデビュー、そして解散
『ギミー・デンジャー』(C) 2016 Low Mind Films Inc
レコード会社と契約後、活動の舞台をニューヨーク、ロスに移し、2枚のアルバムを発売します。注目されたのは歌だけでなく、ステージ上で半裸で動き回る、客に飛び込むパフォーマンスでした。批評家からは、異端、過激と片付けられます。レコード会社が3枚目のアルバムをどうするか検討していたところ、デヴィッド・ボウイが近づきます。ボウイはイギーの才能に目をつけイギリスでアルバムを製作しようとします。しかし、ボウイも協力した3枚目のアルバム「ロー・パワー」は売り上げ不振、レコード会社は関係解消、1974年にメンバーの薬物問題からバンドは解散します。
デヴィッド・ボウイ
ボウイは当時の人気ミュージシャン、イギーとは友人になります。ボウイはイギーの名前から架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を名乗り、1972年6月、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』をリリース、大ヒットさせます。ボウイとイギーはバンド解散後も、ともに活動を続けます。
『ギミー・デンジャー』(C)Joel Brodsky
イギーは1974年から2003年まで、ソロで音楽活動を続け、世界中の多くの音楽家とコラボレーションを行います。世界中のミュージシャンが彼に影響を受け、当初売り上げ不振の「ロー・パワー」も再評価されます。2003年にはストゥージズも再結成、いつしかパンクのゴッドファーザーと呼ばれ始めます。
ロックの殿堂入り
セレモニーに参加した(左から)イギー・ポップ、マドンナ、ジャスティン・ティンバーレイク -(C) Reuters/AFLO
2010年、イギーとバンドはロックの殿堂入りをします。表彰式に中指をつきたてるポーズで登場、このポーズはアメリカでは怒り、相手への侮辱を意味し、公共の場では許されない行為です。しかし、会場は拍手、イギーは音楽と人生に関しスピーチををします。イギーは昔と変わらぬ半裸姿で、自分の子供や孫の世代に歌います。
日本での活動
イギーは1983年の初来日以来、何回か日本でも公演をおこなっています。1987年には坂本龍一のアルバム、「ネオ・ジオ」に参加、「RISKY」 という歌を歌い、自動車会社のCMソングにもなりました。1998年のフジロックでのライブは、熱狂した観客100人以上をイギーがステージに上げてしまい、客にマイクを取られるなどパニック状態になったが会場が盛り上がったというエピソードがあります。
映画のインタビューに答えるイギーは穏やかで、知的、笑顔を見せながら話します。そこにはステージで過激なパフォーマンスを演じる歌手とは違う姿を見せています。
まとめ
ジャームッシュ監督は、1日10時間に及ぶイギーへのインタビューを敢行。メンバーや関係者にも取材を重ね、完成までに8年もの月日を費やしました。本作のきっかけは、旧知の友人でもあるイギー自身からの依頼だったといいます。「僕はイギー・ポップの大ファンだけど、なんといっても『ストゥージズ』の子どもだ。オハイオで育ったストゥージズ・キッド。だからまず『ストゥージズ』ありきなんだ」とジャームッシュ監督は語ります。
イギーと『ストゥージス』の活躍を描いたドキュメンタリー。音楽やロックを愛する人たちだけでなく、1960年代のアメリカの社会や文化に興味のある人にもおすすめです。音楽に人生のすべてをかけた過激な人間の興味深い映画になっています。音楽に興味のない、イギーについて何も知らない人が見ても、映画を見終わった後は、彼の音楽や動画を見たくなるような映画です!