ブラッド・ピットのプロフィール!
ブラッド・ピット-(C)Getty Images
ブラッド・ピットはハリウッドの中でもトップレベルの超人気俳優。しかもアカデミー賞を俳優として3度も受賞しているだけでなく、ブラッド自身の会社(Plan B Entertainment)で映画のプロデューサーとしても3度受賞しています! 日本では"ブラピ"の愛称で親しまれていますね!
2014年にアンジェリーナ・ジョリーと結婚したことは大ニュースに!
2人のトップスターは慈善活動に積極的で慈善のためのファンドを設立しています。
アンジェリーナとの間には、2人から生まれた子供が3人、養子として引き取った子供が3人の計6人の子供がいます。しかし、2016年末に2人の破局が報じられてからは、子供の親権争いが裁判沙汰にまでヒートアップしてきており、どんどん過激になってきています。
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが6人の子供を連れて来日(2011年11月)
ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリーと遂に離婚へ!子供たちの親権の行方は?
ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー-(C)Getty Images
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが離婚申請をしてからすでに2年以上が経過。長引いていた6人の子どもの親権争いにようやく決着がついたようです。
ブラピの関係者は「ブラッドとアンジェリーナは共同親権を持つことになりました。今後6週間から8週間の間に、いままでの“監視付きの訪問”が終わりになります。子どもたちはいますぐにでもブラッドと泊りがけで会うことができます。監視は最初のお泊りにはつきますが、これはブラッドの希望です。ブラッドはこれが大きな変化になるのはよく分かっていて、なるべくスムーズにことが進むようにしたいんです」と語っています。
アンジェリーナ・ジョリー&ブラッド・ピット-(C)Getty Images
親権問題が決着ついたところ、2019年4月14日に、二人の離婚が正式に成立し、5年の結婚生活は幕を閉じました。
ブラッド・ピットの幼少期~俳優になるまで
若かりし日のブラッド・ピット『ジョー・ブラックによろしく』-(C) Getty Images
ブラッド・ピット(本名ウィリアム・ブラッディ・ピット)は、1963年12月18日にオクラホマ州のショーニーで、トラック会社を営む父と学校のカウンセラーだった母との間に誕生。そして、あまり知られていない事ですが、ブラピには2人の弟がいます。
ブラピはキカプー高校に在学中は、ゴルフや水泳、テニスなど様々なクラブで活動していました。そのほかにも、リーダーシップを育むプロフラムやディベート大会、演劇活動などにも積極的に参加していました。
キカプー高校を卒業後は、ミズーリ大学に入学。なんとその時の専攻は意外にもメディアの広告についての学科でした。しかし学位を取得する2週間前になって、そのまま会社務めをする気にならず、大学を中退してロサンゼルスへ。
バイトの傍ら演技のレッスンを受けはじめ、俳優ブラッド・ピットとしてのキャリアがスタートしたのです…。
しかし、今のブラッド・ピットからは想像しにくいですが、このような下積み時代があったんですね。
ブラッド・ピットがスター俳優になるまで
ブラッド・ピット (C) Getty Images
ブラピの俳優としてのデビューは脇役からスタートします。1987年に『No Way Out(追い詰められて)』に出演を果たし、その同年に『No Man's Land』,『Less Than Zero』でも役を務めました。これら3作品ではどれもクレジットなしの小さな役。
同じ年に「Another World」に2話出演し、その直後に「Growing Pains(愉快なシーバー家)」にゲスト出演、テレビデビューも果たします。同年末からは翌年にかけて「Dallas(ダラス)」にも4話出演。
1988年末にFoxの警察ドラマ「21 Jump Street」にゲスト出演した後、とうとうブラピに主演映画のオファーが回ってきました。ブラピはより集中してこの役に取り組むのですが、この『The Dark Side of The Sun(リック)』は政治的な理由で1997年までお蔵入りに。
翌年1989年にはブラピは2つの映画作品に出演。コメディ映画『Happy Together』と、ホラー映画『Cutting Class』です。つまりブラピが映画館で披露されたのはこの『Happy Together』が初ということになります。
これらの映画は成功したとは言い難く、ブラピはこの他にも何作か出演していますが、鳴かず飛ばずの連続でした。
しかし、ブラピが埋もれていた時代に終わりが!
それは1994年の映画『Interview with the Vampire』がきっかけでした。
ブラッド・ピットの初主演映画『リック』
ブラッド・ピット(C) Getty Images
ブラッド・ピットの初主演作品。1988年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国で製作されましたが、その後同国で紛争が勃発。1997年にようやく日の目を見ました。日光に当たると死んでしまうという奇病を患ったアメリカ人の青年、リック(ブラッド・ピット)。彼を主人公としたヒューマンドラマです。
ブラッド・ピット、スターへの道の始まり!『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』とその後
「東京国際映画祭」来日ゲスト/ブラッド・ピット -(C) 1998 TIFF
1994年はブラピの歴史を語るなかでは重要なターニングポイントになります!
小説をもとにして作られた映画『Interview with the Vampire』に若きトム・クルーズなどの豪華キャストと共演。この映画でブラピは2つのMTV映画賞を受賞しましたが、演技力については厳しい評価を受けました...。
この映画に続いてブラピは『Legend of the Fall(レジェンド・オブ・フォール / 果てしなき想い)』に出演。演技が評価され、ブラピは初めてゴールデングローブ賞を主ベスト俳優枠で受賞しました!
ブラピのハリウッドスターへの道を歩み始めていましたが、この頃はまだ熱狂的なファンは多くなく、ブラピ自身も悩むことが多かったらしいです。
翌年1995年、ブラピは『Seven (セブン)』で、殺人鬼を追う刑事役で出演。モーガン・フリーマンとの共演も果たします。ブラピは自身でこの映画をすばらしい映画だ、と言っていて、役の幅が広がったとも公言しています。この演技は批評家たちにも良く受け取られて、全世界でなんと合計3憶2700万ドルもの売り上げを達成!
『Seven(セブン)』の成功に続いて、ブラピはSF映画『12 Monkeys(12 モンキーズ)』に出演。作品の評価も高かった中、ブラピの演技は特に注目され、作品自体よりも高い評価を受けました。そうしてこの映画で、ブラピは自身2度目となるゴールデングローブ賞を助演男優枠で、さらに自身初となる、アカデミー賞助演男優賞にもノミネートされました!
『Interview with the Vampire』から順調にスターの道を駆け上るブラピはですが、ここから2年ほどは、ブラピの演技が批評家に厳しく評価されなかなか思うようにいかない時期が続きます...。
ブラッド・ピット、ハリウッドスターとしての地位を確立『ファイト・クラブ』
『BURN AFTER READING』© AFLO
次にブラピが出演したのは、今現在でもかなりコアなファンがいる『Fight Club(ファイト・クラブ) 』!ご存知の方も多いと思います。この作品でブラピはカリスマボクサーの役を演じるために、前歯を除去したり、3種類もの格闘レッスンにも挑戦。
この作品は今でも大人気ですが、航海当時は興行収入予想を下回っていました。しかし、DVDが発売されるとものすごいスピードで大人気作品の仲間入りに。もちろん作品の人気と比例して、ブラピのファンも格段に増えました!
ブラッド・ピット、「オーシャンズ」シリーズを出演
強盗映画『Ocean's Eleven(オーシャンズ・イレブン)』に数々のスターとともに出演し、大成功を収めました。この『オーシャンズ』シリーズは3作続きますが、そのどれもが大成功に終わりました。
ブラッド・ピット、『トロイ』を出演
ブラッド・ピット-(C)Getty Images