『となりのトトロ』の都市伝説の真実とは
『紅の豚』(c)1992 Studio Ghibli・NN/『となりのトトロ』(c)1988 Studio Ghibli/『猫の恩返し』(c)2002 猫乃手堂・Studio Ghibli・NDHMT
平成が始まるより少し前、1988年に公開されたジブリ映画『となりのトトロ』。宮崎駿が監督を務めたこの映画は、昭和30年代の日本を舞台に、田舎に引っ越してきた草壁一家の子供たちが不思議な生物と出会い、交流を果たすファンタジー作品です。
公開当時の成績はほかのジブリ映画に負けていたものの、2018年までに16回テレビ放送されてきた中で、ほとんどが高い視聴率を記録しており、世代を問わず愛される普及の名作となりました。
そんな映画『となりのトトロ』は、たくさんの都市伝説があることでも有名です。大半は、サツキとメイが死んでいるといった、「死」にまつわる都市伝説で構成されているのがポイント。
今回はそんな映画『となりのトトロ』の都市伝説や、その真実を考察含めて紹介します。頭からっぽにして見ても面白い作品ですが、視点を変えてみることで更に面白くなるはずです!
『となりのトトロ』都市伝説①狭山事件と関連する?真実を考察!
「ジブリパーク」基本デザイン「ジブリの大倉庫エリア」(C)Studio Ghibli
狭山事件は、1963年5月1日に埼玉県狭山市で実際に起きたものです。16歳の少女が身代金目当てで誘拐され、最終的には凄惨な結果で終わるこの事件は、昭和史の中でも知名度が高く有名。
そんな狭山事件が、映画『となりのトトロ』と関連する部分が多いため、都市伝説ではその噂がまことしやかにささやかれています。
具体的には、「サツキとメイが事件の被害者を元にしている」「事件が起こった年代や場所が同じまたは近い」などです。結論を言うと、狭山事件との関連はこじつけとしか言えません。
■サツキとメイは事件の被害者と関係ない
『となりのトトロ』に登場する長女のサツキは12歳の小学6年生、メイは次女で4歳。対して、事件の被害者は16歳の4女であり、姉は次女で23歳です。比較すると、年齢も姉妹の構成も違うため、関連性は低いと考えられます。
また、メイが行方不明になった際にサツキは捜索していますが、狭山事件では早い段階から身代金目当てということが明らかになり、姉が捜索した事実はありません。
■年代は少し違う
狭山事件が起きた1963年は昭和38年にあたり、『となりのトトロ』とは年代が近いことがわかります。ただ、『となりのトトロ』は昭和30年代前半の日本を舞台にしているため、年代は一致しません。
月に関しては、『となりのトトロ』も狭山事件も5月に起こる出来事なので、一致します。サツキとメイの名前が5月を表す「皐月」「May」である点も一致しますが、これは事件ではなく本編の月と合わせた結果です。
■狭山事件と舞台は同じか不明
『となりのトトロ』には「松郷」や「七国山」といった地名が登場しますが、実際の舞台は明らかではありません。とは言っても、宮崎駿が住んでいた埼玉県所沢市が舞台という話が有力です。
「松郷」に関しては所沢に実在する地名で、「七国山」はないものの、隣接する場所に「八国山」が存在します。また、映画本編には「狭山茶」と書かれた箱のようなものが映る場面も存在。
以上から、『となりのトトロ』の舞台は埼玉県所沢市かもしれないし、狭山事件が起きた狭山市の可能性もあります。ちなみに所沢市と狭山市は隣同士です。
■そもそも最初は1人だった
『となりのトトロ』(c)1988 Studio Ghibli
サツキとメイは『となりのトトロ』の重要キャラクターですが、初期構想はメイの1人だけです。というより、姿はメイで服装がサツキといった、設定の混在する少女が1人登場する予定だったとのこと。
最初は1人だけだったものの、同時上映される映画『火垂るの墓』の上映時間が90分に延長されることになり、元々60分の『となりのトトロ』も80分に延長されました。
その上映時間を伸ばす方法として、登場する少女を1人追加することになったのが、サツキとメイの誕生秘話です。
ちなみに、少女が追加されることになったのは映画公開の1年前。その背景から、初期ポスターにはサツキとメイを足して2で割ったような女の子とトトロが並ぶ絵が描かれています。
話が多少逸れたものの、初期設定が1人だけだったことを考えると、狭山事件とはまったく関係がないと断言可能です。
『となりのトトロ』都市伝説②影のないサツキとメイ?真実を考察
ⓒ APOLLO
美しい映像が描写される映画『となりのトトロ』を見ていると、背景はもちろん影もリアルに見られます。サツキとメイの動きに合わせて影も追従する様は見ていて生々しく感じられ、本当に人が動いているかのようです。
一方、本編後半に入るとサツキとメイの影がなくなるというのも確認できます。具体的には、メイは行方不明になるあたりから、サツキはネコバスに乗るくらいからです。
この件について、巷ではサツキとメイが亡くなったことで影がなくなったのだという都市伝説があります。
結論から言うと、サツキとメイの影がなくなったのは「演出」上の問題で、作画班が不要と判断したためというのが正解です。
監督の宮崎駿は、『となりのトトロ』の製作前から「今まで誰もやろうとはしなかった極めて難しいチャレンジをする」と美術スタッフに話していて、それが「背景と時間の経過を合わせて表現する」というものでした。
これにチャレンジしたのが、『となりのトトロ』の美術監督だった男鹿和雄氏。ジブリ映画の背景を支えてきた裏方の重要人物で、最近は細田守の映画にも関わっています。
男鹿和雄氏は、「時間と背景」の関係を表す方法として影やハイライト、コントラストの違いを表現するやり方に挑戦します。その結果、太陽の位置を考えた上でサツキとメイの影に時間ごとの違いが現れ、「影がなくなる」という現象が起きたのです。
以上から、影がないという話はサツキとメイに限らず、よく見てみると他にも描かれる物体や人物の影がなくなる場面も確認出来ます。
現代ではCGがあるためライティングを計算で割り出して影を表現するなんて簡単なことですが、当時の映像技術で挑戦すると言うのはまさに革新的なものでした。
『となりのトトロ』都市伝説③メイが溺死?サンダルの持ち主
ⓒ APOLLO
入院中の母親が体調を崩したという電報を受け取り、駄々をこねるメイにサツキが怒って喧嘩になる場面。メイは母親に会いたい思いで病院に向かったため、何も聞いていないサツキは行方不明になったと思い騒動に発展します。
その際、サツキは村の住民から「池で子供のサンダルを見つけた」という話を聞きますが、確認したところメイのものではありませんでした。この話を元に生まれたのが「メイが池で溺死したのでは」という都市伝説です。
結論から言うと、池で見つかったサンダルはメイのものではないため、溺死したという話は虚偽です。実際、サツキも落ちていたサンダルを見て「メイんじゃない」と発言していることからも明白。
メイのサンダルを注視してみると、サンダルの上部に1本線が入っていることが確認できます。対して、池で見つかったサンダルは上部に2本線がクロスしたデザインになっていることがわかるので、客観的にも区別可能です。
更に、メイが見つかる場面でもサンダルは両方履いていることがわかるため、メイは溺死もしていなければ落ちていた靴の持ち主でもないことは間違いありません。